結局わたしは、
小さい頃外に出ると、母親のうしろにいつも隠れていたあの極度の人見知りが、
いまだになおっていないのだと思う。
あれから何年か経って、大人になって、
いつの間にかはじめての人にもちゃんと挨拶をかわし、石のようになることもなく、
いつもどおり会話を交わせるようにはなってきたけれど、
でも本当の意味で人との距離を縮めるのは、やっぱりおそろしく時間がかかる。
相手のいいところもダメなところも受け止めて、
自分のそれもさらけ出していく。
そこまで、人より何倍も、時間がかかる。
口数が多いわりに、かんじんなことがいつも言えず、
言葉をうしなってしまう。
だから潜在的には、なにも成長しておらず、
あの小さい頃のままなのだろう。
それはわたしのおおきな特徴であり、
そして最大の、コンプレックスなのかもしれない。
それでも人に興味があり、
どこまでも美しい生き物だと思い、これほどいやしく醜い生き物はない、とも思い、
その心の内側を知りたいと求め、いつだってもがいている。
心の奥にうごめく無数の感情を、
紐解いてみたいという欲求。
なぜわたしは歌うのだろうか。
誰よりも孤独が苦手なのに、
ひとりで深い海の底へダイブするような気持ちで曲を書いたりするのは、
いったいなぜなのだろうか。
喜怒哀楽がはげしく、
感情の大きな波にいつもゆれているこういうタイプの人間にとって、
音楽は大きな海のようなもの。
頭からしかるわけでもなく、
あっけらかんと励ますわけでもなく、
かといって、冷たくつきはなすわけでもない。
ただいつもそこに在って、
両手を大きく広げて、小さな舟を包み込んでくれる。
ムダな言葉などいっさいなく、ただ迎え入れてくれる。
だから安心できる。
だからそこではいちばん、自由になれる。
たぶん、そういうことではないかと思う。